【編集部コラム】応募資格の「プロ・アマ問わず」の前で立ち止まってしまう人へ。

※本稿は旧ウェブサイトからの転載となります。必要に応じて適宜修正を施しています。

 こんにちは、こんばんは。コボナビ編集部です。

「プロ・アマ問わず、誰でも応募可能です」。

 応募資格の欄に、こういう文言を入力することがあります。

 あります、といいますか、大体ほとんどがそうです。

 それ自体はべつにいいことでも悪いことでもないのですが、入力するたびに思うのです。

 「アマチュアの方のなかには、この言葉を前にして、応募をためらってしまう人もいるのではないか」と。

 もしそんなことを考えていらっしゃる方がいたら、でもぜひ、「その公募に興味があるのなら、必ず応募したほうがいい」と伝えたいなという、今日のコラムは、そんな内容です。

 私、本コラム担当は、普段はデザイナーをやっています。紙媒体メインのデザイナーとして出発して、ロゴやパンフレットや冊子・広告・プレゼン資料などを10年以上作り続けています。

 ただ、いわゆるデザイン系の専門学校や大学を卒業したわけでもなく、また中途採用の会社に未経験で入ったこともあって、そうした下地がないことについてずっとコンプレックスを抱いてきました。

 いまでもまだすこし、そうした部分があります(ただ先日まで、デザイナーさんの講座を受けてきて、いろいろな想いを抱いたので、それまでに比べたらそう思うこともなくなってきたのですが、そちらについては、またいずれ記事にしてみたいと思います)。

 だから、「プロ・アマ問わず、誰でも〜」という言葉の前で、言葉は悪いかもしれませんが立ちすくんでしまうような人がいるのだとしたら、その気持ちや、その気持ちの背景がなんとなくわかる気がするのです。

 でも、同時にそれは、「げに勿体なしことぞ」、とも思ったりします^^

 理由は3つあります。

1. 公募は、プロだけがその実力が発揮できる場所ではない。

 プロのプロたる所以にはさまざまなものがあると思いますが、ここでは大きく3つに分けていいかなと思います。

 ひとつは、やはり、正規の教育を受けたかどうか。ふたつ目は、その正規の教育を下地として経験を積んでいるかどうか。みっつ目は、ひとつめ、ふたつめにも深く関連しますが、相手に尋ねてきた経験があるかどうか、です。

 このなかで、ひとつめのポイントしてお話しするなかでいちばん重要なのは、みっつめの「相手に尋ねてきた経験」です。

 依頼系の公募でとくに顕著となりますが、依頼され作る作品、というものにおいて、作る人間はどこまでも好き勝手にできるわけではありません。必ず、なにかしらの制約を受けるはずです。

 その制約のなかは、ほとんどの人からみて「それはそうだろう」と了解を得られるようなものもあれば、なんでそれをやっちゃいけないの?というような、細かく微妙なものまで様々です。

 しかし、この制約において、プロ・アマの隔たりはありません。「尋ねる機会」が、基本的にはないからです。

 誰もが与えられた一定の条件のもとにアイデアを考え、制作を進めるという点において、プロが積み重ねてきた「相手に尋ねてきた経験」は、使うことができないのです。

 これは逆に、プロとしての経験を積むことができていない人から見れば、大きなメリットになり得ます。

2.「プロだからできない発想」もある。

 これも、要はひとつめでお話しした「下地」の部分に関わるポイントなのですが、正規の教育を受けたからこそ、発想できないもの、発想してはいけないと考えるものがある、ということです(これは、ひとつ目のポイントでお伝えした「制約」とはべつものだというのは、おわかりいただけるかと思います)。

 そして、それをかいくぐってきたようなアマチュアならではの発想が、主催者(や審査する人たち)の心を射抜くことだってあります。

 公募はなにも、プロの方だけを相手に考え募集されるものではありませんよね。

 主催者、審査する人、あるいはそれを超えて、採用された作品を実際に使う人たち。そういった人たちのことをどれだけ考えて作られたか、に尽きると思います。

3. 結果だけがすべてではない。

 これは公募そのものの可否、つまり実際に採用されるかどうかというお話からは離れてしまうのですが、ここから先に役立てられる経験として、実際に手を動かし作品を作り上げることはとても有用だというお話です。

 世界は結果だけで動いている訳ではありません。きのうテレビで林田先生もいってました(誰だよ)。結果に至るまでのプロセスを見ていてくれる人は必ずいますし、なによりそこでの経験が活きる場所が、必ずあるのだと思います。

 たとえば、運営管理の話で恐縮ですが、ロゴを作ったりする場合は、依頼者に案をお見せするまでに200種類ぐらいのパターンを考えたりします。

 できるだけ、いろいろなパターンや可能性(もちろんさっきのお話を重ね合わせれば、依頼者とお話を聞けば聞くほど、出すべき案のパターンが狭まる、ということはありますが)を考え、そこから絞っていくわけですが、逆に言うとすくなくともこの時点で確実に199案は「なし」になるわけです。

 じゃあ、199案を考えたことは、無駄になるんでしょうか。

 絶対にそんなことはありません。

 そこではボツになったかもしれないモチーフや、199案通り考えたその経験が、この先の制作でも必ず活きますし、もっと言えば、その先の人生そのものにおいて役立っていくと思います。

 なにかをやったこと、やらなかったことの、「ゼロ」と「イチ」の間には、途方もない、断絶と呼んでも差し支えないほどの隔たりが横たわっています(だからこそ、なにもやらない、ああだこうだ言うだけの人は嫌われます)。

「イチ」の場所に立ったからこそ、初めて見えてくる景色があり、そこからまた、「ゼロ」の場所にいたままでは決して得られなかった新しい経験が紡がれてゆくのです。

 以上、「プロ・アマ問わず、誰でも〜」という言葉の前で、それでも怯まずに進むべき理由を3つほど並べてみましたが、とはいえ、あんまり経験をないがしろにしてしまうものも考えものです。

 経験を積むことの辛さがやしんどさ面倒臭さが推してわかるならばなおのこと、そういう経験者がまわりにいたら、リスペクトは向けてみてほしいと思います。

 そしてご自分が発想するときには、大胆に。

 要はバランスですね。

 また、「ゼロ」が「イチ」になるためには、それがちゃんと完成されたものではなくてはなりません。発想し、手を動かし、作り上げて、作品をポストにいれる・メールの送信ボタンを押す、までが公募です(遠足か)。

 誰もが最初は初心者、アマチュアです。その場所からどう離れていくか。それはやはり「やるか、やらないか」しか、ないのだと思います。

 また、次回のコラムをお楽しみに!

ネーミングや言語化を扱った本・書籍

ネーミングやキャッチコピーのコンテスト・コンペ・公募に挑む